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フェンダーは僕の中で“スナイパー” 狙った音が作れる楽器だと思っています|片岡健太(suimka)【前編】

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2ndアルバム『Chime』以来、約2年ぶりとなるニューアルバム『AMUSIC』を3月3日にリリースしたsumika。“さまざまな人にとってのsumika(住処)のような場所になってほしい”をコンセプトに、音楽と真摯に向き合いながら、聴き手にそっと寄り添うような良質な楽曲群で、世代を超えたリスナーから絶大な支持を得ている。そんなsumikaから、ヴォーカル&ギターの片岡健太がFenderNewsのCOVER ARTISTに登場。インタビュー前編では、音楽を始めるきっかけやフェンダーについて話を聞いた。


ここで変われないのなら、自分の人生はこのままかもしれない
 

― 片岡さんはどのような環境で音楽を始めたのですか?

片岡健太(以下:片岡)中学校が神奈川県で有数の体育学校だったのですが、小学校6年生の時に複雑骨折をしてしまい、全治2年くらいの怪我を負ったんです。そのため、体育学校に入ったものの運動部や体育会系に馴染めなくて、部活動をサボって逃げるように音楽を始めました。家でギターを弾いて、馴染めない集団と一緒にバンドを組んだんです。

― 挫折から始まったんですね。多くの楽器がある中でなぜギターを?

片岡  父親がもともとギターを弾いていたのですが、小学校4年生の時に父親が“久々にギターを弾くか”と言ってギターを買ってきて、それがきっかけで弾くようになりました。アコギはちょっとだけ弾ける状態で中学校に入って、どっぷりギターに浸かったのがその中学校の挫折からです。

― バンドを組む前は1人で弾き語りを?

片岡  はい。それこそゆずさんとかスピッツさんとか、初心者でも弾ける曲を歌本を買ってきて弾くことが多かったです。練習は完全に独学ですね。わからないところは父親に聞きながら弾いていました。

― あまり挫折はなく?

片岡  F(バレーコード)の壁にぶち当たりました。最初はアコギだったので、弾きづらくて“弾けないや”と諦めかけていた期間があったんです。でも、怪我をして家にいるしかない時に、久しぶりにアコギに触れたら難なくFが弾けて。小4で初めてギターを触って、小6の時に怪我をしたので、2年間のうちに手も大きくなって弾けるようになっていたんです。中学校に上がるタイミングでエレキギターを買うのですが、エレキを弾いたらめちゃくちゃ弾きやすかったんです。“あれ?アコギにはない弾きやすさだな”と思って余計にのめり込みましたね。

― エレキを買ったタイミングでバンドを組んだのですか?

片岡  いえ、1年間くらいはバンドを組んでいなくて、まだ地下で活動をしていました(笑)。

― バンドを始めるきっかけは?

片岡  中学校の時の友達が銭湯の息子で、家に離れがあって、そこにその友達のお兄ちゃんがやっているバンドの機材が置いてあったんです。ベースとか小さいドラムセットがあって、いいなと思って。部活動をサボっている、いわゆる学校に馴染めない軍団がちょうど4人いたので、みんなで楽器に触れてみようと。“これ、みんなで弾いたほうがいいんじゃない?”って、自然な流れでバンドを始めました。

― 青春映画みたいですね。バンドでのライヴは?

片岡  中学校3年生の最後のお別れ会に、漫才をしたり先生のモノマネをしたり、出し物をやる習慣があったんです。その中で先生バンドや、サッカーや野球といった花形スポーツ部員が引退したあとに集まってバンド演奏を披露する風習があって。その枠が余っていたので、立候補して出演したのが初めてのライヴです。

― バンド的にはかなりの大舞台ですよね。

片岡  そうです。でもお別れ会なので、ライヴをして失敗しても“二度と会わなければ大丈夫だろう”みたいな開き直りがあって(笑)。じゃあ、ここで一発やってみようかと。逆にここで変われないのなら、自分の人生はこのままかもしれないと思い、意を決してお別れ会の立候補で手を挙げました。

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限界の向こう側に行く謎のギアが自分の中に新しく生まれた瞬間でした
 

― 今思うと、そのライヴが転機?

片岡  完全にそうです。“片岡君って何をやっている人なんだろう?”って、中学校3年間はずっとみんなに思われていたと思うんです。体育学校なので、運動しない僕は“謎の人”で。そのお別れ会のライヴの時に、“片岡君って3年間音楽をやっていたんだ”って初めてアイデンティティを認めてもらえたんです。自分の評価が180度変わる瞬間をライヴで味わったので、その感動をいまだに追い求めてライヴやバンド活動をしている部分はあります。

― 良い話ですね。

片岡  今は美談として語っていますけど…当時はツライが95%くらいでした(笑)。居場所がないというか、ライヴをやるまでは音楽をやっていること自体が罪だと思っていて。みんなが部活動を頑張っている中で、“ギターを弾いていていいのか?”と罪悪感すらあったんです。でも、ライヴをしたことで報われて、アウトプットすることは大事だと知れた瞬間でしたね。

― そのライヴの評判は?

片岡  めちゃくちゃ良かったです。それこそ、スター集団たちよりも盛り上がって。スター集団って部活動を引退してから何となくギターを始めている人たちで、練習期間が3〜4カ月くらいなんです。僕らは2年くらいやっているので、圧倒的な演奏力の差を見せつけて“下克上だ!”って(笑)。しかも出演順はスター集団が先で、僕らはジャンケンで負けてトリだったんです。まさに消化試合、観るのも面倒臭いな…という空気だったのですが一発逆転でした。

― そこでプロになろうという気持ちが芽生えて?

片岡  そこまでは思っていないです。でも、ちゃんとバンドをやりたいな、高校に行ってからもバンドをやりたいなと気持ちが固まった瞬間でした。

― フェンダーとの出会いはいつですか?

片岡  最初に弾いたエレキギターがフェンダーのTelecasterで、友達に借りたものでした。アンプに接続して弾いたことがなかったので、アンプにつないで弾いた時、聴いたことのない音量で鳴るから“これはとんでもない物を手にしてしまった!”と(笑)。自転車から初めて原付に乗った時、“速い!”と思う感覚と感動が、アンプにつないだ時にありましたね。そして、自分の力だけでは行き着かない、限界の向こう側に行くギアが自分の中に新しく生まれた瞬間でした。それが僕にとってのエレキギターでしたし、Telecasterでした。

― それからフェンダーのギターに触れていただいていますが、フェンダーギターの印象は?

片岡  フェンダーは、僕の中で“スナイパー”のイメージがあります。狙った音が作れる楽器だと思っているんですよね。例えば、ピアノや同期などが流れている中、ギターの帯域はここしかないって時に、その帯域を狙って音を作れるのがフェンダーです。しかも、その精度がものすごく正確。sumikaは音をたくさん重ねて作るバンドなので、コーラスワークやピアノ、ストリングスといった生の良さを生かしながら、エレキの要素やロックな印象を残したい時、いかに精度良く作れるかが作品のクオリティを左右するんです。フェンダーはそこを正確に狙い撃ちできる。まるで、スナイパーみたいに。その点はすごく信頼しているから、フェンダーのギターを持っていけば大丈夫だろうって。実際、レコーディングやゲネプロができない現場でもすごく助かっています。


› 後編に続く(近日公開予定)

 

片岡健太 使用機材

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AMERICAN ACOUSTASONIC® JAZZMASTER®

American Acoustasonic™ Jazzmaster®はフェンダーアコースティックギターの進化を加速させ、音楽をさらなる高みへと導きます。フェンダーとフィッシュマン®により共同開発されたアコースティックエンジンは、きっと素晴らしいインスピレーションを与えてくれるはずです。アコースティックのフォーキーなサウンドからエレクトリックギターのリズムトーンまでをこなすこのギターは、無限の可能性を秘め、新しい扉を開く革新的なモデルです。

PROFILE


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神奈川県川崎市出身の4人組バンド。メンバーは、片岡健太(Vo,Gt)、荒井智之(Dr,Cho)、黒田隼之介(Gt,Cho)、小川貴之(Kb,Cho)。2013年5月に結成。アコースティック編成の“sumika[camp session]”としても活動を展開。2014年11月、初の全国流通音源ミニアルバム『I co Y』をリリース。2017年7月にリリースした1stフルアルバム『Familia』はオリコン週間チャート5位を記録。2018年4月には2nd e.p『Fiction e.p』をリリースし、オリコン週間チャート3位を記録。同年6月、日本武道館3daysをソールドアウトさせて大成功を収める。9月に公開された劇場アニメ『君の膵臓をたべたい』では、オープニングテーマ・劇中歌・主題歌を担当。2020年9月、自身初のオンラインライブ〈Little Crown 2020〉を木下サーカス立川会場から開催。2021年6月2日には両A面シングル「Shake & Shake / ナイトウォーカー」のリリースが決定している。

› Website:https://www.sumika-official.com