#FenderNews / 山内総一郎 フジファブリック【前編】
志村君の目が凛としていて、すごく惹き込まれたんです | 山内総一郎 フジファブリック【前編】
Photograph by Maciej Kucia / Styling by Shogo Ito(sitor)/ Hair&Make by Shoju Igarashi(Astar)
今年4月でメジャーデビュー15周年を迎え、1月23日には通算10枚目となるニューアルバム「F」をリリース。さらに10月20日には15周年の集大成となる大阪城ホールでのライヴ「IN MY TOWN」も控えているフジファブリックから、ヴォーカル&ギターの山内総一郎が登場。フジファブリックについて、ギターとの関係について、そして志村正彦という存在について肉薄するインタビューを敢行した。
― まずはフジファブリックに加入した経緯から教えていただけますか?
山内総一郎(以下山内) 僕は大阪出身で、2002年、20歳の時に東京に引っ越してきました。その前から大阪でギタリストとして活動させてもらっていて、東京にはレコーディングでちょこちょこ呼んでもらっていたんです。東京に引っ越すきっかけになったのは、あるアレンジャーの方に東京にあるプライベートスタジオを自由に使ってもいいと言われたからです。それからいろいろなレコーディングに参加させていただき、知り合った方からお仕事をいただくようになりました。その中のひとつが、東芝EMI(現:EMI Records)の新人育成のヴォーカリストのサポートだったのですが、担当の方から“ギタリストを探しているバンドがいる”というので、CDをもらったのが「アラモルト」(2004年)というフジファブリックのインディーズ時代のアルバムでした。
その担当の方と一緒にライヴを観に行って、初めて志村君と話しました。それが、すごくいいライヴだったんです。「アラモルト」はオーセンティックな印象もあるし、奇想天外なアレンジもあったので、ライヴはどんな展開でやるんだろうと思っていたら、本当に寡黙に演っているみんなの姿があって。そして、志村君の目が凛としていてすごく惹き込まれたんです。
― そして、2004年にメジャーデビュー。1stアルバム「フジファブリック」は当時ラジオですごく流れていた記憶があるし、とても惹きつけられました。
山内 ありがとうございます。今聴いても1stアルバムは、手前味噌なんですけど古くなっていないと思うんです。当時は“古風なことをやっている”とも言われていたんですけど。今もやりたいこと、好きな音楽が変わっていないのと一緒で、そこに素直に向き合って作れたので今でも新鮮に聴けるアルバムだなって思います。そして、あの1枚が今につながっていると思いますね。音楽への姿勢やフジファブリックの何たるかが、すごく詰まっているアルバムだと思います。
フジファブリックのデビュー当時の写真。左から金澤ダイスケ(Key)、加藤慎一(B)、志村正彦(Vo/G)、山内総一郎(G)、足立房文(Dr)
2007年12月15日、両国国技館にて初のアリーナワンマンライブを開催。その模様はライブDVD『Live at 両国国技館』としてリリースされている。
― バンドとして絶頂期にあった2009年に志村さんが急逝。志村さんの死に直面して、どんなことを考えましたか?
山内 何にも考えられなかったですね。バンドのことも考えられないし。その日は夜だったんですけど、朝日が昇ってみんながカフェでお茶をしているような時間まで、ずっと1人で歩いていたんですよね。気づいたら体中、顔も真っ赤になっていました。COUNT DOWN JAPAN 09/10が幕張と大阪で数日後に決まっていたので、それをどうしようかということでした。主催者の方が、曲順通りに映像を流そうと言ってくれて、皆が駆けずり回って映像を手配し、映像をつないで、ステージに楽器を置いて、それを僕らがステージ袖で観たんです。
― どんな気持ちで映像をご覧になっていたんですか?
山内 よくわからない感情なんですよね。寂しかったり悔しかったり有り難かったりいろんな感情があって。楽器がステージ上にあるから、自分たちがステージに上がれば演奏はできるけどできない。それで年を越して、亡くなる前から決まっていたのですが、レコード会社を移籍したんです。新たなスタッフの方々と次のアルバムを作ろうと話をしていた矢先の出来事で。次のアルバムに向けて未完成だった志村君の曲を、バンドで完成させようという思いがまずはありました。それと、志村君の地元である山梨の富士急ハイランドで開催されるサウンドコニファー229で、2010年にフジファブリックとしてライヴをやることを決めていたんです。そのふたつをやり遂げるのが僕らの使命だと思って、そこに向けて2010年はスタートしました。
結果「MUSIC」というアルバムを作り、富士急ハイランドでライヴ「フジフジ富士Q」を行いました。「フジフジ富士Q」が終わった時は、何も食べられなくなってしまったんです。それが終わってから、僕は斉藤和義さんやくるりのツアーに呼んでいただいたり、ダイちゃん(金澤ダイスケ)はASIAN KUNG-FU GENERATIONのツアーに呼んでもらったり。そうしながらも月1回は3人で集まって近況報告をしていたんです。そういう期間を過ごしている中で、やはりフジファブリックをなくしたくないという思いになっていたんですね。その気持ちを、斉藤さんやくるりの皆さんに背中を押していただいて、“自分が歌おうと思う”ということをメンバーに伝えたんです。メンバーも“もう一度フジファブリックをやりたい”と思ってくれていて、頑張ってやっていこうと。
― 心が折れそうになったこともあったのでしょうね。
山内 いろんな夢を見ましたね。自分が歌を歌い始めた瞬間、フェスで何万も集まってくれた人たちが全員帰っちゃう夢とか。正直怖かったんですけど、重要なのは人から何を言われようが、新しい曲を自分たちの言葉で生むことだろうって。何のためにギターや楽器があるのかというと、もちろん楽しむためでもあるんですけど、新しい曲やライヴ演奏を生み出すためでもあるので。それでまずは新曲を作って演奏しようと。
― 正直、志村さんが亡くなってフジファブリックは解散するのかと思っていました。
山内 このバンドの夢をどんどん見続けて、夢の続きをどんどん叶えて、また次の夢を見て…を繰り返していこうという思いは、具体的に言葉を交わしてはいないけどメンバーみんなの心の中にあったと思います。
富士急ハイランド コニファーフォレストにて、バンドと縁の深い15組のゲストアーティストを迎え、1日限りのステージ「フジフジ富士Q」を開催した。
― 新体制になって最初のライヴを覚えていますか?
山内 覚えています。みんな心配で観に来てくれました。再始動最初のライヴはROCK IN JAPAN FESTIVALだったんですけど、その前にシークレットゲスト的な感じで日比谷野外音楽堂に出させてもらったんです。もうドキドキでした。“楽しかった”“やりきった”とは程遠い、魂をひとつ置いてくる、身を切り取って置いてきたような、そんな思いのライヴでした。
― 忘れられないライヴの景色はありますか?
山内 2010年のフジフジ富士Qで初めてステージで歌った時ですね。その時は本当に震えましたけど、忘れられないです。あとは、歌うようになって最初の日本武道館ライヴですね。武道館はイベントで何回か立たせてもらっているステージだったんですけど、ワンマンで満員の拍手を浴びてステージに出た時は忘れられないですね。1曲目の「桜の季節」を歌ったあと、こみ上げてしまって少し間を置かないと歌えなくなってしまいました。
― 志村さんが作った曲を歌ったり演奏する時は、やはり特別な気持ちですか?
山内 それはあります。大事に歌いたいという気持ちもありますし、口ずさんでいるだけでもこみ上げてくる思いがあります。でも、オーディエンスには“音楽を伝えたい”という気持ちで向き合っています。
― さて、10月20日には15周年の集大成となる大阪城ホールでのライヴ「IN MY TOWN」が開催されますがどんなステージにしたいですか?
山内 喜び溢れるステージにしたいですし、志村君も含めてフジファブリックというバンド、そして過ごしてきた時間に感謝を伝えるような日になると思うので、素晴らしい景色になると思います。今までの道のりと今の自分たち、さらにみんなの未来も見えるようなライヴにしないといけないと思っています。
― みんなが特別な思いになれる日でしょうね。
山内 1人1人の中でのフジファブリックがあると思いますし、それを僕らが逆に見せてもらえる場でもあると思っています。だから、今のツアーでも言っているんですよ。“みんながフジファブリックだ”って。僕らもそうだし、みんながフジファブリックだから。その姿がハッキリ見えるのが大阪城ホールなんだと思う。
― その先、20周年、30周年のビジョンはありますか?
山内 あります、体調に気をつける。このメンバーが仲悪くなりようがないので、体調さえ良ければ絶対に続けていけると確信しています。一度絶望を味わったバンドで、そこから続けてきたわけですから、生命力はすごくあると自負しているんです。だから辞めたくないです。ずっとずっと続けたいですね。
再始動最初のライヴとなった「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2011」フジファブリックは2日目のステージに登場した。
2014年11月28日、バンドのデビュー10周年を記念して開催されたワンマンライブ「10th anniversary LIVE at 武道館 2014」
› 後編に続く
【ギターコレクション】
Fender Custom Shop Souichiro Yamauchi Stratocaster Masterbuilt by Jason Smith(Cover写真)
カスタムショップのマスタービルダー、ジェイソン・スミスによって2015年に山内のために製作された特別な1本。鮮やかなカラーと極太のネック、ファットなピックアップなど、のちに発売されるシグネイチャーモデルの原型となっている。
Souichiro Yamauchi Stratocaster®
山内総一郎のアイコンとも言える62年製Fiesta RedのStratocaster®を基にしたMade in Japanのシグネイチャーモデル。本人自ら工場に行って直接要望を伝えるなど、1年以上の歳月をかけて試行錯誤が繰り返され、手に取りやすい価格帯ながら魅力的なモデル。目を引くのは、本人の実機から引用された鮮やかなカラー。プラスチックパーツはUSA製を採用し、ヴィンテージ感溢れるルックスに仕上がっている。Custom Shop製の"Fat '50s"ピックアップを採用し、さらにエレクトロニクスはすべてUSA製のものを採用することで、想像を超えるサウンドクオリティを実現した。
› 製品情報はこちら
PROFILE
山内総一郎
81年、大阪府茨木市生まれ。15歳より音楽を始める。 2004年、フジファブリックのギタリストとしてメジャーデビュー。 現体制となってから、ヴォーカル&ギター、作詞作曲を手掛ける。 2014年にはデビュー10周年を迎え、初の単独日本武道館公演を開催。 2016年、フェンダー社とエンドースメント契約を締結、アンバサダーとして活動。 2019年1月、10枚目となるフルアルバム「F」をリリース。 10月20日には『フジファブリック 15th anniversary SPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019「IN MY TOWN」』を行うことが発表された。
› Website:http://fujifabric.com
LIVE INFORMATION
フジファブリック 15th anniversary SPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019「IN MY TOWN」
2019年10月20日(日)
New Album
F
【初回限定盤】¥3,996(tax in)
【通常盤】¥3,240(tax in)
Sony Music Associated Records
2019/01/23 Release