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SUMMER SONIC 2018 Interview with Kevin Shields (my bloody valentine)
Photo by 中野敬久
「原点回帰」のコンセプトで、例年になく海外アーティスト比率が高かったのが今年のSUMMER SONIC。その前夜祭にあたるオールナイト・イベント、SONICMANIAもヘッドライナークラスの豪華な面々が名を連ねた。1stアルバムの発表からはや30年、日本でも多くの崇拝者を持つMy Bloody Valentineもラインナップ。そのフロントマンでありギタリスト、Kevin Shieldsに真夜中のSONICMANIAでのライヴ前に話を聞く事ができた。
― 日本には5年ぶり、サマーソニックには初の出演となります。まず日本の印象を聞かせてください。
ケヴィン・シールズ(以下:ケヴィン) 初めてこの国を訪れた時の印象をよく覚えているよ。スーパーモダンでロンドンよりもずっと先進的なテクノロジーを持つ部分と、同時にとても古くて歴史のある部分が、驚くべき融合を遂げている国だと感じた。しかしながら、そんな近代的な国にも関わらず、そこに「冷たさ」ではなく「温かさ」を感じたんだ。
もう一つは色彩とデザインに対する高い美意識について。初めて日本に来た時に行ったギターショップでは、ものすごい種類とカラーの品ぞろえに驚いた。ロンドンはいわばベーシックなものばかりで、日本のサイケデリックな色使いに驚いたんだ。グレイなロンドンから見ると、日本には言わば60’sカルチャーのような、爆発的にカラフルな色彩の世界を感じたね。
― 日本に来ると訪れたい、好きな場所はありますか?実は昨日あなたは御茶ノ水の楽器店街で買い物をしていた、との話を聞いたのですが。
ケヴィン そうだね。笑
あそこは日本に来たら必ず訪れる場所だよ。そして必ず最低でもペダルを1つは買っているね。僕はたくさんのペダルを持っているけど、そのほとんどが日本で購入したものだよ。
― 今回はいいものが見つかりましたか?
ケヴィン もちろんだよ。今回だけでなく、いつもいいものが見つかるんだ。世界一の品揃えだよ
― 噂ではそこで気になるJazzmasterを見つけたとの事ですが。
ケヴィン そうなんだ。ペイズリー柄のね。
― そのJazzmasterは日本製のモデルなんですよ。(※ Made In Japan Traditional 60s Jazzmaster®)
ケヴィン 聞いたよ。とてもクールなギターだよね。
― あなたの初めてのギターについて教えてもらえますか?
ケヴィン 初めてのギターは16歳のクリスマスに手に入れた日本製のHONDO IIというモデルで、8ケ月くらいしか使わなかった。その後も日本製のCIMARといった感じで、実はずっと日本製のギターを使っていたね。 そしていくつかの後に日本製のJaguarを手に入れた。当時アメリカではもうJaguarは作っていなくて、最初の復刻盤が日本製だったと思う。 それが僕の最初のフェンダーだ。
― どんな音楽から演奏を始めたんでしょうか?
ケヴィン 最初のバンドはパンクバンドだったね。 80年代だ、Sex PistolsやRAMONES、Cockney Rejects、Motörhead、Stiff Little Fingers、そんな音楽をやっていたよ。
― たくさん練習しましたか?
ケヴィン うーん。最初の頃はともかく「どうにかしてバー・コード(=バレー・コード)を覚えたい。」ていうだけでね。リードギターなんてやりたくなくて、ジョニー・ラモーン(RAMONES)の様にギターを弾きたかった。彼は僕の偉大なヒーローなんだ。
― フェンダーのギターとの良い思い出はありますか?
ケヴィン 何言ってるんだい?もちろんだよ。笑
(Jazzmasterの)トレモロアームでの演奏を発見した時、これが自分自身を表現する方法だと分かったんだ。
― あなたの最初のJazzmasterは友人から借りたものだったそうですね?
ケヴィン そう、最初は借りたものだった。‘64年製のJazzmasterだね。
― 今年(2018年)はJazzmaster生誕60周年の年です。あなたにとって、Jazzmasterとは、一言でいうとどんな存在でしょうか?
ケヴィン 「My Perfect Guitar」だね。どんな事だってできるギターだよ。
― 「Master of Jazzmaster」として、あなたはどんなプレイヤーにJazzmasterを勧めたいですか?
ケヴィン エナジーと個性をもって演奏したい人に向いていると思うよ。Jazzmasterは、やさしくソフトに演奏できるギターじゃないからね。
― 日本のギターキッズ、これからアーティストを目指す新しいPLAYERたちにメッセージをお願いします。
ケヴィン 自分自身に実験をさせてあげよう。自分自身に挑戦をさせてあげよう。
実行してみて、もしそれが嫌だったらもう二度とやらなきゃいいだけのこと。
だから少なくともトライしてみよう。自由になるんだ。
― 最後に日本のファンにメッセージをお願いします。
ケヴィン とても感謝してる。
こうやって何度も日本に戻って来れることを、本当に感謝しているよ。ここは常に僕らが世界で一番愛する場所のひとつなんだ。
長旅の疲れもあり、更に深夜の取材にも関わらず、優しい眼差しと語り口で丁寧に質問に応えてくれたケヴィン。Jazzmasterについて話す時の笑顔が特に印象的だった。そしてこの取材の後、優しきケヴィンは満員となったホールの観衆をあの轟音の渦に巻き込んでいったのだった。
[Artist Profile]
my bloody valentine
1984年にアイルランド・ダブリンで結成された4人組。オアシスやプライマル・スクリームらも在籍したUKのインディ・レーベル、クリエイション・レコーズより放ったEP「You Made Me Realise」(1988年)でブレイクを果たすと、同年デビュー・アルバム『Isn't Anything』をリリース。エフェクターで歪ませた轟音のギターやフィードバック・ノイズに、ポップで甘いメロディを乗せた浮遊感のあるサウンドを特徴とし、「シューゲイザー」と呼ばれる音楽ジャンルの草分け的存在としても知られる。特に、2年半もの歳月と膨大な制作費を費やしたと2ndアルバム『Loveless』(1991年)はバンドにとって初の全英アルバムチャート入りをもたらし、米ピッチフォークが選出した「1990年代のトップ100アルバム」においてレディオヘッドの『OK コンピューター』に次ぐ2位にランクインするなど、ジャンルを飛び越えた名盤として人気が高い。
1997年に解散し、メンバーはそれぞれソロやサイド・プロジェクトで活動を続けていたが、2007年に突如再結成をアナウンス。2008年にはフジ・ロック・フェスティバルで初日のヘッドライナーを務め、“You Made Me Realise”の間奏における20分以上におよんだノイズ・パート(通称ノイズ・ピット)は今なお伝説として語り継がれている。2013年には約22年ぶりのアルバム『m b v』を自主制作でリリース。同年のジャパン・ツアーでは全5公演を即完させ、フジ・ロックにも再び出演、さらに9月には東京国際フォーラムにて相対性理論をゲストに迎えたスペシャルな公演も実現した。あまりの轟音から、彼らのライヴでは入場時に耳栓が配られることが恒例となっている。
https://www.mybloodyvalentine.org